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80億人の表現者

「子どもの価値」をもっと上げるために、僕は幼稚園を飛び出したんです。

Interview 2024/03/01
永渕 泰一郎 さん(畿央大学 教育学部 准教授)
Interview 2024/03/01

永渕 泰一郎 さん(畿央大学 教育学部 准教授)

ながぶち・たいいちろう
保育所と一体型の幼稚園に勤務後、兵庫教育大学院で修士を取得。保育者の育成をはじめ、保育者向けの研修会・保育のアドバイザー、PTA講演会などを行う。2005年、イタリアのレッジョ・エミリアへ視察に行き、Reggio Emilia study group, Japanを立ち上げ、2006年から兵庫・大阪を拠点に「レッジョ研究会」の活動を推進する。奈良県就学前教育関係者協議会協議委員長、大阪市こども・子育て支援会議専門委員、なら歴史芸術文化村コミッション委員、一般社団法人ピカソプロジェクト理事などを歴任。『新・保育内容「環境」 ラーニング・ストーリーで綴る学びの記録』(教育情報出版)など、著書多数。

大人の願いが強すぎると、小さな表現者の個性を奪ってしまう。

幼児教育のプロフェッショナルである畿央大学の永渕泰一郎准教授は、30年ほど前、幼稚園教諭からキャリアをスタートさせました。13年ほど働くうちに、詰め込み型の教育に疑問を感じ、もっと自由で創造的な教育をしたい、もっと保育者の手助けをしたいという思いから、幼児教育研究の道を歩み始めることに。永渕准教授の優しく語りかけるお話に引き込まれながら、幼児が表現すること、大人が個性を解き放つ方法などについてお話を伺いました。

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インタビューが行われた子どものためのアートスタジオには、赤や青、黄色といった色とりどりの紙や筆記具をはじめ、どんぐり、木の枝などの自然素材も並び、大人でも創作意欲がむくむくと湧き上がってきます。

Q アートスタジオの壁にも飾られていますが、子どもが描く絵には、大人ではまねられない自由さを感じます。

永渕准教授(以下敬称略)

保育の現場では、子どもが自分自身と向きあう時間を大切にしています。子どもたちは、自分を取り巻く環境や好きなもの、興味のあるものなどを取り入れ、歌ったり、踊ったり、絵を描いたりといった表現活動をします。そのため、絵からは子どもの考えていることを読み取ることができるんです。 それは、必ずしも写実的なものではありません。ある時、2歳の子どもがぐるぐると渦巻きの線を描いたと思ったら、次は園庭を思いっきり走り回っていました。ふと、彼の走る姿と渦巻きの線が似ていることに気付き、もしかしたら、走って楽しかったことを手でも表現しているのかもと思ったんです。画材が本人で、ぐるぐる回転した線は自分の走った跡だと思うと、とても健全で、心が表れているなと感じました。

Q 大人は、人が走っている絵でないと「走る」って呼ばないですよね。子どもの絵を読み解くにはどのようにしたらいいのでしょうか?

永渕

大人が子どもの絵を見立てたら必ず外します(笑)。「おいしそうなおにぎりだね」って言ったら、「違うよ、フクロウだよ」って。子どもは、自分の絵が下手だから伝わらなかったんだと傷ついてしまうこともあるので、子どもと大人の間にズレがあることを理解しておくことが大事です。

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Q 例えば、どのようにコメントしたらいいのですか?

永渕

見たままを言えばいいんです。例えば、「紙が真っ赤だね。描くのに時間がかかったでしょ」と話しかけると、子どもは「うん、すごく大変だったよ、このリンゴ」って。なるほど、リンゴか(笑)。そんな感じで、子どもは伝わる相手かどうかちゃんと見ています。

Q 大人はついつい型にはめてしまうというか、自分の認識で分かろうとしてしまいます。

永渕

リンゴは赤色で描こうねとか、人の形はこうだよとか、大人の見方、考え方を子どもに教えたがってしまいます。もしかしたら、「教育」という言葉が誤解を与えているのかもしれませんね。「教えて、育てる」と思いがちですが、すでに子どもたち自身がさまざまな力を持っているので、本来は「引き出す」という教育観でないといけません。英語の「Education」には、引き出すという意味があるのですが、日本語にはこのニュアンスがないため、どうしても知識は大人が教えるものという考え方になってしまうのかなと思っています。

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絵の具を使う時、筆を使うのか、綿棒を使うのかで塗りつぶし方が変わるように、画材や道具が変われば、子どもの表現は変わります。あと、色をたくさん用意すると好奇心が変化しますよ。

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Q 子どもの自然な表現を引き出すためには、どのようなことをしたらいいのでしょうか?

永渕

好きな時に、自由に遊べる環境を整える「コーナー保育」という考え方があります。例えば、ままごとセット、ぬいぐるみ、絵の具、折り紙などを用意して、子どもたちが主体的に、自由に選択して遊べる環境を作ってあげることが重要です。 ご家庭では、おもちゃ箱にまとめるのではなく、種類別に仕分けることをおすすめしています。おもちゃ箱から何かを見つけるのも楽しいですが、目当てのものがすぐに見つからないと、子どもは飽きてしまうんです。同じように、工作の時も画材や素材を仕分けることで、自分のアイデアやイメージをすぐに形にできます。時間差を生まない、欲しいものがすぐに手に入りやすい環境を整えることがポイントです。

Q 環境を整えたら、あとは子どもの主体性に任せることが大切なのですね。

永渕

その通りです。僕は若い頃、劇団を主宰していました。演出家として役者に演技を披露したら、「永渕のやりたいことは分かるけれど、役者として自己表現するから、一番の客として見ていてほしい」と言われてしまった。その時、自分の役割は環境を整え、相手を信じることだと理解しました。この経験は、幼稚園教諭時代にも生かされていて、子どもが生き生きと表現できる環境を作ることが、僕の幼児教育観の原点にもなっています。

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幼児教育の研究や保育者を育てる仕事をしていますが、自分自身もまだ保育者のつもりで、幼稚園や保育園の先生たちにもっと価値があることを認めてもらうために活動しています。

遊びの中には、社会に必要なさまざまな能力が隠れている。

Q アート活動などを取り入れ、子どもたちの自立や協調性を養うレッジョ・エミリア教育の研究をされていますが、どのようなものなのでしょうか。

永渕

よく引き合いに出されるシュタイナー教育やモンテッソーリ教育が生まれたのは、第一次世界大戦の頃。世界がもう一度平和になるために何が必要かと考えた時、幼児教育が大事だと考えられました。レッジョ・エミリア教育が新たにスタートしたのも、第二次世界大戦がきっかけ。イタリアの都市レッジョ・エミリアでは、戦車を売って得た資金を活用し、幼稚園を建設することを決めました。ですので、レッジョ・エミリア教育は、子どもを中心に据えたまちづくりが出発点とも言えます。 レッジョ・エミリア教育では、子どもは生まれた時から大人と変わらない一人の市民だという考えに基づき、子ども一人ひとりを大切にする価値観や教育観が根底にあります。そのため、平和や愛だけでなく、人や地域との関わりを大事にする教育方法が素晴らしいなと思っています。

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Q 今も世界では紛争が絶えず、将来の予測が困難な時代と言われる中、子どもたちに必要なスキルとは何でしょうか?

永渕

自ら考え、行動する力です。それは遊びの中にいっぱい入っているんです。遊びとは子どもが自ら始めないと遊びではなく、大人が指示をすると活動になってしまいます。興味を持ったことを自発的にやってみたいと思い、続ける力が意欲になります。そして、遊びではたいてい問題が付きものです。例えば、砂場で山を作りたいけれど、さらさらの砂をかけてもサーッと流れて高くならない。どうするのかなと見ていたら、湿っている砂のところで高くすることができたんです。そうしたら、砂を水でぬらし始めて工夫をしたんですね。遊びの中には必ず問題を超えていく対処法が含まれているんです。

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子どもはピンク色のペンを単なる書く道具としてだけでなく、ピンク色の電車に見立てて遊ぶなど、自分なりの価値を創造していきます。大人はその自由な発想を受け入れることが大切です。

Q 遊びが学びというか、企業研修にも生かせそうですね。

永渕

経済関係者と幼児教育について話すと、子どもたちのような柔軟で、創造的な人材が欲しいと言われることが多いですよ(笑)。「出会いの教育」というものがあって、偶然の出会いを必然の出会い(教育)へと導くのです。例えば、色鉛筆に出会った時、「あなたは何がしたい?」と子どもたちに問いかけます。色鉛筆があるから、これを描こうではなく、自分が何をしたいか考えることが大事。「色鉛筆=描く」だけではなく、芯を削って粉にしたい、色鉛筆の削ったものが面白い形・匂いがするなど、多様な可能性に気付き、出会えるようにするのです。 そのため、「赤色を使って遊ぶけど、何をしたい?」と子どもたちに聞くと、これがしたい、あれがしたいとさまざまなアイデアが飛び交うんです。しかし、中学生になると同じ画材を使って何を作りたいか問いかけても、シーンって誰もが黙り込んでしまう。幼児教育と社会はつながっています。ただ、小学校、中学校と続く教育の中で、正解やこうあるべきという型を経験していき、教育が子どもの新たな可能性を奪ってしまうことが、今の日本の課題と言えます。

美しさとは色や形だけでなく、自分らしく生きること。

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Q 大人たちが個性や創造性を発揮することに壁を感じることは多いと思います。それについては、どのようにお考えですか?

永渕

一つは、自信の有無。もう一つは、他者を信じられるかどうかではないでしょうか。自分を表現することで、周りにどう思われるか怖くなり、自分を縮こまらせてしまうことがあります。でも、自分に自信があり、周りが受け入れてくれる世界なら、何をしても安心ですよね。そこには、雰囲気という環境が多分に影響していると考えます。雰囲気を社会と言いかえた時、受け入れてくれる社会や地域が存在するかが、とても重要な要素だと思います。 また、保育所保育指針や幼稚園教育要領には、「子ども一人ひとり」や「主体」という言葉がよく出てきます。主体とは、「あなたは、あなたのままでいいよ」「あなたが人生の主人公」というニュアンスでとらえています。個性を大事にすることは、一人ひとりを大事にすることそのものだと言えます。

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描いた絵をすぐに引き出しにしまわずに飾ってあげると、子どもたちはいい絵が描けたから飾ってもらえたと感じ、自尊感情が育ちます。

Q ここでも人を取り巻く環境が重要なポイントなのですね。自分を表現することに対しての抵抗感をなくすには、どのようなことが必要だと思いますか?

永渕

幼児教育では「概念崩し」という言葉があります。例えば、家庭で「泥は汚いから触っちゃダメ」と言われていると、幼稚園で泥遊びをしていても近寄らないんです。それでも、友だちが楽しそうにしている様子を見て、最初は乾いた砂に触れ、次に泥を触るようになって、気が付いたら泥だんごを作れるようになっています。そして、手に付いた泥に太陽の光が反射してぴかぴか光るのを見て、「きれい」って言う。その瞬間、泥は汚いという概念が崩れ、美しいという価値観に変化することができたんです。これは子どもの例ですが、今の大人たちが、同じような感覚をどれだけ持てるかが重要だと思います。

Q そのために、私たちはどのようなことをしたらいいですか?

永渕

例えば、新しいことにチャレンジしてみるのも一つの方法かもしれません。できることを増やすのではなく、やってみたという経験を増やすことが大切です。今、キャンプが人気なのも、自然の中で不便な生活をすることで、自分で見つけた発見や気付きに喜びを感じるという原初的な感覚を楽しんでいるからかもしれません。

Q 最後に、永渕准教授が理想とする社会とはどのようなものか教えてください。

永渕

子どもたちの世界の様に、個性が認められ、人生を自分らしく生きることが実現したら、なんて平和なんだろうと思います。幼児教育、小学校、中学校と、人の成長というのは上昇するスパイラルのように連続的です。その1巡目である幼児の時期を大事にする世界が実現したら、大人も、子どもも、障がい者も、動物も、すべてが存在してよいとされる環境が大人の世界で実現でき、世界のみんながものすごいつながり方をすると思うんです。それはきっと、愛情に満ちあふれた世界だと思います。

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「人生100年時代」と言われる今、幼児教育はたった5年ほどの短い時間。そのわずかな期間には、残りの95年では得られない表現が非常に多いそうです。それは絵だけに限らず、例えば、赤ちゃんがぎゅっと握ったティッシュも、その手の大きさの時にしか生まれない、今を生きているからこそ作れた表現と言えます。 「その瞬間に生まれる尊い表現を大切にし、感謝を持って受け入れてほしい」と言う言葉が、今も心に響いています。永渕准教授が子どもたちに向けるまなざしを、私たちも他者に向けられたなら、一人ひとりの人生が美しく、尊いものであることを理解できるのかもしれません。

永渕准教授が使う筆記具

ポスカ

「不透明インクを使ったポスカは、色を重ねても鮮やかな発色が楽しめるし、極細から極太まで太さがそろっているのも魅力ですね。特に子どもたちは細い線が描きにくいので、極細ポスカを使って夢中になって絵を描いています。ポスカを使って透明のビニール傘に絵を描くことも多く、影が地面に落ち、子どもたちが楽しそうにしている姿を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってしまいます」

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