えんぴつなんでもQ&A

えんぴつの
歴史(れきし)

えんぴつはいつ誕生
(たんじょう)したの?

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1560年代、イギリスのボローデール鉱山で良質の黒鉛(こくえん)が発見され、その黒くなめらかな性質が注目されて、こまかく切ったり、にぎりの部分をヒモで巻いたりして筆記具として使われるようになりました。
こうして世界最初のえんぴつは作られました。これは、黒鉛(こくえん)を板状か棒状にけずり、板にはめ込むという簡単なものでした。なかには、黒鉛(こくえん)に直接糸を巻き付けただけというものまでありました。
このボローデールの黒鉛(こくえん)を堀りつくすと、やがて、黒鉛(こくえん)の粉末と硫黄(いおう)を混ぜて溶解し、これをねりかためて棒状にすることが考案され、今日のえんぴつにもっとも近い筆記具となりました。
1760年にカスパー・ファーバーというドイツ人が黒鉛(こくえん)の粉を硫黄(いおう)などでかためた芯(しん)を作りました。
1795年にニコラス・ジャック・コンテというフランス人が硫黄(いおう)の代わりに粘土(ねんど)に黒鉛(こくえん)をまぜ、これを焼きかためて芯(しん)を作り、さらに混合の比率を変えれば芯(しん)の硬度(こうど)が変化することを発見しました。現在でも基本的には、このコンテの方法でえんぴつの芯(しん)は作られています。

日本に残っている一番古
いえんぴつは?

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静岡県の久能山東照宮博物館(くのうざんとうしょうぐう)に徳川家康(とくがわいえやす)の遺品(いひん)として、約6cmの1本のえんぴつが展示されています。これが、日本にのこっている一番古いえんぴつといわれています。芯(しん)はメキシコ産で、柄は赤樫(あかかし)でできています。
記録がないためどのように日本まで渡ったか分かりませんが、スペイン、あるいは当時その属領(ぞくりょう)であったメキシコかフィリピンから家康(いえやす)に献上(けんじょう)されたものであろうといわれています。(※)
また、伊達政宗(だてまさむね)もえんぴつを使っていたと考えられます。1974年に、墓所・瑞鳳殿(ずいほうでん)の発掘(はっくつ)が行われた時に約7cmのえんぴつが発見されています。
日本で本格的(ほんかくてき)にえんぴつが使われるようになったのは明治維新後のことです。
ドイツからの輸入品(ゆにゅうひん)だったため、ごく1部の人が使っていたにすぎません。ふだんの筆記具は筆と石筆(せきひつ)と手製の鵞ペン(がぺん)(がちょうの羽を使ったペン)でした。

※参考文献:久能山東照宮博物館図録『徳川将軍家の名宝』

最初のえんぴつの工場は?

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鉛筆製造(えんぴつせいぞう)を工業として始めたのは眞崎仁六(まさきにろく)です。
明治20年のことでした。眞崎仁六(まさきにろく)は、東京市四谷区内藤新宿1番地(現在の新宿区内藤町1番地)に「眞崎鉛筆製造所」(まさきえんぴつせいぞうじょ)をつくりました。水車を動力とする工場を建て、えんぴつをつくって売りはじめました。
これが「三菱鉛筆株式会社」の始まりです。

えんぴつのねだんはどう
変わったの?

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大量生産が始まったえんぴつはどのくらいのねだんで手に入るものだったのでしょうか?
商品が売られてからのねだんの変化を表にまとめました。
庶民(しょみん)にまったく手の出ないねだんにはなっていなかったことがわかります。

えんぴつ1本 銭湯おとな
局用鉛筆 明治34年 1厘 1銭3厘
明治40年 2厘 3銭
大正10年 5厘 6銭
昭和5年 1銭 5銭
#600 昭和10年 3~5銭 7銭
#9600 昭和14年 5銭 6銭
昭和15年 10~15銭 6銭
昭和20年 20銭 20銭
昭和21年2月 50銭 50銭
#9800 昭和21年9月 80銭 90銭
昭和22年 2円 1~4円
昭和23年 5円 6~10円
昭和25年 10円 10円
昭和44年 15円 35円
昭和48年 20円 55円
昭和54年 30円 170円
平成2年 40円 310円